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保育施設の開拓者 オーベルランの歴史

保育施設とオーベルラン
オーベルランは現代にもつながる保育施設の創始者として知られています。今回は保育施設の起源に関わるオーベルランについて紹介します。

村を立て直すために教育を!

オーベルラン(Oberline,J.F)は1700年代後半から1800年前半にかけてフランスで活躍した人物です。彼が保育を含む教育事業に携わるきっかけとなったのは彼自身の仕事に関係しています。

オーベルランはプロテスタントの一派であるルーテル派の牧師でした。

彼は1767年に、フランスの北東部の村に派遣されます。その村の土地は痩せこけていて農耕は適さず、村人は疲弊しきっていました。

そして、27歳のオーベルランはこの村の再興を任されたのです。

オーベルランが派遣された村にも、学校がなかったわけではありません。しかし、その学校は、小屋に「教師」とされた老人がいるのみというとても粗末なものでした。

「このままでは次を担う人材も育たない」

彼は村の経済を再建するために教育を充実させることに決めました。まず、彼が取り組んだのは学校を作る環境を整えること。村の大人に対して、農耕の知識や技術を教えました。さらに、他の地域と貿易を始め、交通の利便性を向上させるなど開かれたネットワークをつくったのです。

編み物学校のスタ―ト

新しい試みに反発はつきもの。村の再建のために学校をつくろうというオーベルランの意見に反発する村人も多かったのです。そこで彼はなんと自費で学校を建設しました。

この学校は、婦人たちが生計を立てるための主要な技術として編み物を教えたので「編み物学校」と呼ばれました。

このように大人に対する職業訓練支援の側面を持っていた学校でしたが、オーベルランは子どもへの教育も重要視しました。

「こどもへの教育をいつから始めるべきか?」

彼はこの問題に対して、6歳から学校教育を始めるのは遅すぎる、幼児から始めるべきだと結論を出しました。

というのも、両親が働きにいって上の兄姉が学校を行くと、幼児はずっと放って置かれる環境に置かれることになり、成長してからも矯正できないほど外部から悪い影響を受けてしまうと考えたからです。

そして、その考えのもと、「幼児学校」を建設しました。これが世界初の保育施設の始まりです。

オーベルランの幼児学校カリキュラム

オーベルランの幼児学校は、当時の教育からみると画期的なものでした。それまでは、子どもを預かるという託児所の役割をもつ施設はありましたが、子どもを預かり、その上教育するという考えは一般的ではありません。なぜなら、幼児からの教育に意味を見出していなかったからです。今でこそ、胎教があるように幼い頃からの教育が後の子どもの成長に影響するという考えが常識となっていますが、当時は子どもの発達時期といった意識はないに等しいものでした。

次世代への教育への道を開いたともいえる幼児学校についてくわしく見ていきます。

保育目標

①「悪い習慣を取り除き、服従・誠実・秩序などの良い習慣を身につけること」

オーベルランが説いた幼児教育を重視した意図がこの目標には表れています。幼児が環境から吸収してしまう害悪を退けることを目的にしています。

②「標準フランス語の発音と簡単な文字を学ぶこと」

オーベルランが再興支援した町は、地方でなまりがひどいところでした。そのため、幼児期より、発音や文字の教育を受けることで、他の地域と交易や、都市にも出ていくことを可能しようとしました。幼児からの言語習得に注目した例と言えます。

③「キリスト教と道徳の初歩概念を学ぶこと」

子どもの倫理観を育てるために、道徳教育を施していきました。キリストの教えは、オーベルランの牧師という職業が活きています。

保育スケジュール

 

オーベルランが保育園を開設しました

 

保育は母親が仕事に出ていたり、編み物を学んでいたりして子どもの世話をすることができない間に行われました。保育内容は年齢によって分けられています。

年少者

風通しのよい広い部屋に子どもたちは集められて、女性の教師が母親のように子どもの世話をします。年少の子どもは1日のほとんどの時間を楽しく遊んで過ごしました。

年長者

年少者との違いは編み物を学ぶことです。年長のこどもたちが編み物を教わっている間は、年少の子どもは静かにするように言われていました。

遊びに疲れた子どもにはゆったりとした授業の時間が訪れます。

博物や聖書のきれいな絵を見て、説明を受ける授業や地図を見て村の名前を書き入れる授業と、常識的な知識を学ぶ時間がありました。さらに、天気の良い日にはみんなで散歩へ外に行き、きれいな花を見つけたら話し合いの時間をつくるというような園外保育の時間も設けられていました。

6歳以降

小学校入学と同じように、幼児学校の上の学校に通うことになります。そこでは読み書きや算数といった基礎的な内容から地理・農業原理・天文学・宗教といった専門的な内容が教えられるようになります。

保育園の礎に 広がっていく幼児学校

オーベルランが築いた幼児学校が、パリやその他の都市にも広がっていきました。働く母親のために多くの学校がつくられるようになったのです。

中でも有名なものはパレスト夫人です。一度、1801年に貧民街に設けた乳児保育所は失敗しましたが、1862年に再び幼児保育所を開きました。その保育所は働く母親の需要に応えるものとなり、1886年には授業料免除の公教育機関として母親学校と改称されるようになりました。

この母親学校ができるようになったのも、オーベルランの幼児学校があったからこそ。オーベルランが村の再興のためにつくられた幼児学校は、託児所としての機能に加えて教育の機能を加えたという点で、幼児教育史上意味の大きなものといえるでしょう。

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