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ルーツは200年以上前!?保育園の長い歴史について

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今では社会に欠かせないものとなった保育園。実は、その成り立ちは200年以上も前にさかのぼる、とっても歴史の長い施設だったんです!

保育施設はフランス生まれ!オーベルランの「幼児保護所」って?

ヨハン・フリードリヒ・オーベルラン(1740-1826)

世界初の保育園が出来たのは、なんと238年前!

1779年にフランスで誕生した「幼児保護所」という施設から、保育園の歴史がはじまりました。

創設者はドイツ人牧師のオーベルラン。フランスの町・ヴァルターズバッハの地区開発をするにあたり、町の幼児、少年、成人を対象にした「編物学校」をつくりました。その中の5歳までの子どもに向けたクラスが「幼児保護所」です。

当時の農村では子どもも労働力とされ、子どもらしくすこやかに育っていくことが難しい環境でした。

これを改善するため、オーベルランは子どもたちに聖書の話や自然の観察、フランス語やアルファベットの勉強、編み物などについて学び、教養を得る機会を与えて健全な社会を作ろうとしました。

そんなオーベルランの教育理念は、「子供に対しては厳しすぎず、常に優しい好意を持って、しかし侮ることなしに」というもの。現代の教育や保育にも通ずる、素晴らしい考え方ですね!

 

現代の保育園のルーツはイギリスに!マクミラン姉妹の「保育学校」

世界初の保育施設はフランスのオーベルランでしたが、より現在の保育園のような形に近づけたのが、イギリスのマクミラン姉妹です。イギリスにおける最初の保育施設は、オーエンが1816年に開設した「性格形成学院」の中の「幼児学校」となりますが、どちらかと言うと学習の側面が強い施設でした。そんな状況の中、マクミラン姉妹は「すべての子どもをあなた自身の子どものように教育しなさい」という言葉のもと、1911年、「保育学校」をロンドンの貧民区に開設します。

「保育学校」は共働き家庭の5歳以下の子どもたちを対象にした施設で、お昼寝や手洗いなどの衛生についての指導と、屋外遊びによる身体づくりを軸にした保育内容を行っていました。この「保育学校」が知的教育に偏っていた当時のイギリスの幼児教育を一新して、イギリスの学校制度の中の基礎教育へと位置づけられました。ちなみに、マクミラン姉妹の功績や活動については、過去に保育ぷらす+内で詳しい記事が公開されています!合わせて読んでみてはいかがでしょうか?

マクミラン姉妹:イギリスの保育学校の創始者

日本初の保育園って?

世界初の保育園はフランスで生まれた「幼児保護所」で、それをより近代的な形にしたものがイギリスの「保育学校」でした。では、日本初の保育園は一体どのようなものだったんでしょうか?

日本での保育園は、民間の託児所から始まりました。それら始まりの施設について紹介していきます。

 まるで現代のインターナショナルスクール!横浜の「亜米利加婦人教授所」

 

保育士 保育園

 

 1871年(明治4年)、文明開化の頃にやってきたアメリカ人宣教師が横浜に開いたのが「亜米利加婦人教授所」です。

当時は外国人と日本人の混血児が社会問題になっていました。そのような子どもたちを救うために、女性宣教師ミセス・プラインたちが立ち上がり、この施設を作りました。

明治時代の教育者、中村正直はこの施設を見て、「実母実子かと疑はるるほど」と愛情の深さに驚きました。それほど手厚い保育がなされていたんです!

また、日本人と外国人の区別をせず、親のいない子も受け入れていたようです。まるで現代のインターナショナルスクールのような保育施設ですね。

こちらの「亜米利加婦人教授所」は、現在の横浜共立学園の前身です。長い歴史が現在も学校として受け継がれているんですね。

http://www.kjg.ed.jp/ (横浜共立学園 公式HP)

現代まで続く保育園!?新潟の「静修女学院附設託児所」

 「亜米利加婦人教授所」はアメリカ人の手による保育施設でしたが、のちの1890年(明治23年)に新潟で開かれた「静修女学院附設託児所」が、日本人の手による初の保育園になります。

明治の教育者、赤沢鍾美とその妻ナカが創立した「静修女学院」には幼児を連れて登校しなければいけない女生徒が多く、それを助けるために授業中に幼児を預かる託児所として開かれました。

そしてのちに独立し、社会福祉法人となり、現在は赤沢保育園として運営されています。

長い歴史を持つ園として、現在も続けられている凄い施設なんですね。

 

→ (赤沢保育園 公式HP

 労働者を助ける児童福祉施設のはじまり!東京の「二葉幼稚園」

さて、前者2つは託児所に近い施設でしたが、現代の保育園のように、労働者を助ける児童福祉施設のはじまりとして1900年(明治33年)に開かれたのが、東京・麹町の「二葉幼稚園」です。

明治の東京には紡績工場や製糸工場で働く女性が多く、家庭の事情で十分に保育を受けられず路上で遊んでいるような子どもたちが多数いました。

野口幽香と斎藤峰は、そのような子どもたちを、華族幼稚園の子どもたちと同じ様に保育したいという思いのもと、二葉幼稚園を開きました。

二葉幼稚園では、衣食住を子どもたちに施し、衛生的な指導をする活動からはじまりました。のちに麹町から四谷の貧困街へ移り、大正時代には名前を「二葉保育園」と改めて更に多くの子どもたちを受け入れ、教育も施すようになりました。

この頃には私立の幼稚園などが出来始めていましたが、一部のお金持ちなどの家の子どもだけが入れるような施設であり、働く家庭を助けるような施設はまだまだ不足していました。

そんな人々を助け、子どもたちに適切な保育を施す、という思いで始まったこの二葉保育園こそ、現代の保育園の存在にも通ずるような施設ではないでしょうか。

また、こちらの二葉保育園も、現在まで長年営まれ続けている施設です。社会福祉法人二葉保育園として、新宿区南元町でキリスト教保育を取り入れて運営されています。

 

http://www.futaba-yuka.or.jp/index.html (二葉保育園 公式HP)

 まとめ

 今回は世界と日本の保育園の成り立ちについてまとめてきましたが、いかがでしたか?

今では当たり前の施設として私たちの周りにある保育園ですが、昔は保育を受けられない子どもたちがたくさんいたんです。そんなつらい状況を、志のある方々が変えていったことで今のようなしっかり整った保育が充実しているんですね。

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