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「日本のフレーベル」近代保育を創り上げた人物、倉橋惣三とは

あなたは倉橋惣三という人物をご存じですか?旧来のルールに固執した日本の保育方針を、海外思想を由来とした自由な保育方針へと切り替えるきっかけを齎した功績ある人物です。
海外のフレーベル思想に影響を受け、日本の堅苦しかった保育や幼児教育を改革していった、言わば「日本のフレーベル」とも言える存在として知られています。
今回は、この日本の保育・幼児教育を語る上で欠かせない、倉橋惣三について理解を深めましょう。

倉橋惣三(くらはし そうぞう)は、日本の児童心理学者で、日本の幼児教育の先駆けとなった東京女子高等師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)で園長先生を務めた教育者です。

倉橋惣三

 

倉橋惣三の生い立ち

倉橋惣三は、1882年に静岡で生まれ小学生のときに上京しました。上京後は東京帝国大学で心理学を学びながら、時間があれば東京女子高等師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)に通い、子どもたちと遊ぶ、保育に情熱を注ぐ青年でした。

倉橋惣三は後年、東京女子高等師範学校講師を経て、教授に就任しました。その際にフレーベル主義に影響を受け、保育と幼児教育の発展に尽力します。
戦後は教育刷新委員会の委員に着任し、その経験を経て1948年に日本保育学会を立ち上げるなど、日本の近代保育へ多大な功績を残しました。

倉橋惣三に影響を与えたフレーベル思想

倉橋惣三は「日本のフレーベル」とも呼ばれた人物です。まずは簡単にフレーベルについて知っておきましょう。

ドイツの教育学者で幼児教育の祖であるフレーベルは、幼稚園という言葉だけでなく、幼児教育の基礎となる思想や形を作り上げました。

フレーベル教育の3つのポイントとしては、

1:自然の不思議を体感することを重視し、子どもたちが庭で遊び、庭を育てること

2:子どもたちの感覚と感性を育てる歌遊びに重きを置いていること

3:恩物と呼ばれる積み木遊びの時間を大切にしていること

が挙げられます。詳しくは下記の関連記事をご覧ください。

【保育ぷらす+で過去に紹介した関連の記事】

人間は幼児期から人類の一員!フレーベル教育はおもちゃを片付けない!

マクミラン姉妹:イギリスの保育学校の創始者

オーエン:「義務教育」の父

明治時代のフレーベル思想は本来のものと大きく異なっていた

明治時代になると、フレーベル思想が日本でも導入され、「恩物」を使った保育が行われはじめました。
しかし、当時の日本ではフレーベル教育由来の「恩物」は、決められたルールの範囲でのみ利用されるものでした。
子どもたちが自由に伸び伸びと楽しめるものではなく、フレーベルの目指した「遊びを通して子供の想像力を伸ばす」こととはかけ離れていたのです。

そのような当時の現状に対して、倉橋惣三は恩物の由来となったフレーベル教育の思想そのものを重視し、その後「誘導保育」と呼ばれる保育方針の普及に注力していきます。

倉橋惣三の重視した「誘導保育」とは

 

倉橋惣三

 

誘導保育とは、子供が持つ「自らの内に育つ力」を大切にし、子どもが自発的に自由に遊ぶ中で「自己充実」を目指すという教育方針です。周囲の大人が教え導くのは、その自己実現のために刺激を与え、環境を構築することです。大人が半ば強制的に子どもをコントロールするのとは違います。

 

倉橋惣三の名言

倉橋惣三の著書で有名なのが『育ての心』です。その中には保育に関するたくさんの名言があります。(一部抜粋)

「自ら育つものを育たせようとする心、それが育ての心である。」

自ら育つものを育たせようとする心、それが育ての心である。世にこんな楽しい心があろうか。それは明るい世界である。温かい世界である。育つものと育てるものとが、互いの結びつきに於て相楽しんでいる心である。

育ての心。そこには何の強要もない。無理もない。育つもののおおきな力を信頼し、敬重して、その発達の途に遵[したが]うて発達を遂げしめようとする。役目でもなく、義務でもなく、誰の心にも動く真情である。

~中略~

それにしても、育ての心は相手を育てるばかりではない。それによって自分も育てられてゆくのである。我が子を育てて自ら育つ親、子等の心を育てて自らの心も育つ教育者。育ての心は子どものためばかりではない。親と教育者とを育てる心である。

「飛びついて来た子ども」

子どもが飛びついて来た。あっという間にもう何処かへ駆けて行ってしまった。その子の親しみを気のついた時には、もう向こうを向いている。私は果たしてあの飛びついて来た瞬間の心を、その時ぴったりと受けてやったであろうか。それに相当する親しみで応じてやったろうか。
後でやっと気がついてのこのこ出かけて行って、先刻はといったところで、活きた時機は逸し去っている。埋めあわせのつもりで、親しさを押しつけてゆくと、しつこいといった顔をして逃げていったりする。其の時にあらずんば、うるさいに違いない。時は、さっきのあの時である。
いつ飛びついて来るか分からない子どもたちである。

「子どもらが帰った後」

子どもが帰った後で、朝からのいろいろのことが思いかえされる。われながら、はっと顔の赤くなることもある。しまったと急に冷や汗の流れ出ることもある。ああ済まないことをしたと、その子の顔が見えてくることもある。一体保育者は・・・。一体私は・・・。とまで追い込まれ ることもしばしばである。大切なのは批の時である。批の反省を重ねている人だけが、真の保育者になれる。翌日は一歩進んだ保育者として、再び子どもの方へ入りこんでいけるから。

まとめ

今回は倉橋惣三についての情報をお届けしましたが、いかがでしたか?
明治時代からパイオニアとして日本の幼児教育に海外の思想を取り入れ、子供たちを「教育するべき対象」ではなく、「内なる力を信じて自由に伸び伸び育つのをサポートする対象」と捉えた倉橋惣三の考えは、当時の日本の教育システムに大きな影響を与えました。
著書「育ての心」には、教育者として子供と誠心誠意向き合い苦労した教育者だからこその名言が記されており、現代私たちが保育を行う際にもヒントとなる内容となっています。

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